遠い遠い昔、遥か西の彼方、黄金の都に
偉大な王が築いた知識の殿堂、Mouseion(ムセイオン)。
そこには世界中から知識人が集い、
研究の灯は数知れぬ文明の礎となった。
そして、その中に置かれた巨大な図書館には
世界のありとあらゆる書物が納められ、人のすべての知識がそこにあったという。
縁(よすか)宿る 樹(いつき)
枝葉を伸ばせ
洞(うろ)に生きるは
ひとのすべて
木の葉の首輪
回るときのわ
枯れ果てぬよに
永久(とわ)に繋げ
いつかのうたかた
心を託すや
いつかはことのは
夜風に落ちるや
いつかのうたかた
心はいずこや
いつかのうたかた
心はいずこや
樹はゆらゆら
炎に踊るや
呉葉はゆらゆら
夜風に踊るや
私は人に寄り添うもの。 人は長い時を生きることができない。それでいて、生命の長さに見合う分だけの幸福を謙虚に求めて天寿を全うする者はほとんどおらず、大半はやや手に余るほどの宝物をかき集めようとするが、求める物をすべて手に入れ、満足して生涯を閉じる者はさらに少ない。そして、生み出した業績、発明、信頼が大きいほど、彼らは肉体の死を恐れるようになる。 その瞬間は間もなく訪れる。ある者は死の床で未完の大作を思い涙を流した。ある者は戦場で最愛の妻と子を脳裏に浮かべながら大地に血液を染みこませた。その一滴一滴がすこしずつ結晶化して文字となり、丁寧に折りたたまれて本に納められ、私に保存されてゆく。本の中に安置された結晶に触れることで、後の人々はもはや形を留めていない過去の人物を想い起こすことができるのだ。 私に問いかけることは、あらゆる時間を超えること。 あらゆる場所を超えること。ヒトの過去に問いかけること。 原初の人が生まれたころ、そこに文字はなかった。知識は口伝の形をとり、急流の飛び石を渡る兎のように人の容れ物を渡ってきた。足を踏み外して溺れた兎もあれば、割れた石とともに沈んだものもあった。 やがて人の間に文字が生まれた。…
春の風 凪ぐ空に
雲雀は 何処へ行く ひとりで
帰らない面影よ
過ぎし日々を思う
君の歌を口ずさむ
君の歌が聴こえる
時を越えて 寄り添う
今は昔、人の中にいくつもの国が生まれ、いくつかの国と歴史が消え去った頃の物語。 西方に巨大な帝国があった。勇敢な王の下に遠征を繰り返し、11の国を滅ぼし、世界の3分の2を掌中に入れ、あらゆる芸術品を帝都に集めたとされる。都は栄華を誇り、「闇を払う都市」「太陽の都」と称された。中央広場から一直線に延びる大通りに沿って劇場や博物館、図書館が造られ、民衆は山海の珍味と帝国市民としての誇りを肴に美酒に酔い、毎夜観劇に興じたという。 そんな喧噪の中心地からはるか東方、帝国編纂の世界地図においては『人の住まう事なき辺境』の一行で処理され、支配も遠く及ばない大山脈。それを越え、さらに峠をふたつ越えた先の盆地に村があった。周囲の山々と深い森は戦火から集落を隠す壁となり、また、豊かな水と果実を湛え、そこに住む人々を常に潤した。 住人は穏やかで賢く、村の豊穣と照らし合わせるように多くの知識を蓄えていた。発達した灌漑施設のおかげで作物はすくすくと育ち、誰も飢えを知らなかったし、布に卵白を重ねて塗ることで雨傘を作ったり、複数の木を組み合わせて横笛や太鼓などを作り出す工芸の技術も有していた。 ところで、その国には文字がなかった。 一つも、ただの一つも文字がなかった。 言葉は音としてそこにあるだけだった。どんな出来事も、どんな戒めも、ひとつの物語として歌に乗せて伝えられ、形をとどめることなく霧のように消えていく音楽を注意深くとらえ、心に保存し、よく知り、よく考えた。だから、子供たちも、そのまた子供たちも、先人に劣らず賢かった。 ただ、文字が生まれることはなかった。 文字というものの存在すら知らない村人たちは、しかし不便に思うことなど 無かった。重い荷物を台にのせて皆で担ぐように、有するすべての知識をすべての人間で共有する。物も、人も、安定してひとつの形をとることなど滅多に無いのだから、台には同じく流転の性質を持つ歌を用いる。彼らにとってはそれは求められた最適解ですらなくて、単純に、ただひたすらに繰り返 されてきた行為だった。 文字を知らない村人たちは、不安に思うことなど無かった。 ある一人の男を除いては。…
空がただ煌々と一色の白に染まる夜。
月も、見えず。
一歩、二歩、進むごと、身体が沈み込んでゆくようで、
(もしくは、夜にばらけて綿毛の一つに消えそうで)
行く末に地平線、失われる遠近感。
来し方も見えず、どこかも知れず、
うつむくとも何も見えず、ただ雪原の先を眺める。
鎮める夜空を
吹き抜ける雲間に
遠いあなたを見た
耳のすぐそばの轟音と肌を剥ぐ風雪。
凍る足に開く傷に耐えて 足を進める。
右、左、右、左、足を数える、数える、やがて見失う。
ふ と、よぎる光景、
今立つ位置の前と後。
いつか遠くに置いてきた自分の色。
凍りついた血液に火を灯す光。
遠くの景色もこの場所からは周囲を包んだ雪にまぎれて見えないけれど、
それでもあなたの描いた理想の世界は色を失ってしまうこともなく、
金色の光を受けて、
とても美しい。
(いつまでも待っている)
ここには何も存在しない。 宿の主と暖炉を囲む。西に10日ほど進んだ先の都市を目指す、と話すと、主は、西の一帯はこの国と『太陽の帝国』との戦線になっていて雲霞のように矢が飛び交っている、死にに行くのでなければ引き返した方がよい、と言った。そこで迂回路を尋ねたところ、返答は、北に見える山を越えるしかないが、あれは人の立ち入る所ではないから止めた方が良い、広大なうえに年を通して雪が溶けることがなく、とても抜けることはできないだろう、という冷たいものだった。痩せた頬と眼窩の皺が特徴的な主は、男の若気をなんとか諫めようとしたが、何度危険を伝えてもその意志が変わらないのがわかると、男を哀れむような、それでいて厄介事を遠ざけるような視線を注ぎながら別れの言葉を吐いた。 翌朝早くに男は出立した。主からは川沿いを進んで山頂の右側を抜けるのが良いと教えられたが、麓から見上げる限りでは山頂は見えず、ここからどれほどの距離があるのか測りかねた。餞別にと渡された木綿の肩掛けを羽織り、足を踏み出す。周囲の空気がひんやりと重くなったように感じた。 剥き出しの岩が転がる川岸は歩きづらいが見通しは良かった。黙々と、ただ歩き続ける。…
陽の沈まない街の中で (Mouseion)は木漏れ日に輝く
人に寄り添い杖となって いつか人を識って やがて人となる
縁(よすか) 宿る 樹(いつき)
枝葉を伸ばせ
洞(うろ)に生きるは
ひとのすべて
木の葉の首輪
回るときのわ
枯れ果てぬよに
永久に繋げ
いつかのうたかた
心を託すや
いつかは言の葉
朝陽に踊るや
いつかの言の葉
未来に謳うや
縁宿る樹 枝葉を伸ばせ
洞に生きるは
ひとのすべて
短き生命 繋ぐ文字の鎖
結ぶ記憶は 時の果てへ
いつかのうたかた
心を託して
眠れよやすらかに
いつかのうたかた
心を託して
眠れよやすらかに
夜風に抱かれて
帝都内政官の手記より抜粋 帝国歴243年 第7番目の月 20番目の太陽が昇った日 東夷の地より一人の男来たる 藍毛黒眼、深い青色の衣をまとう 誰とも異なる言葉を解し 誰も耳慣れぬ旋律を紡ぐ 夜に中央広場で聴いた歌である。珍しい風体をした男。一部で話題になっている。聞くところによると、その者が干魃に苦しむ町に赴き杖で地を突いた。現地の若者がそこを掘ると、たちまち水が噴き出し川となったという。男には水を操る龍が見えるのだそうだ。 帝国歴243年 第9番目の月 9番目の太陽が昇った日 医師の努力虚しく王の病状は悪化の一途をたどり、今月に入ってからは一度も朝議に顔を出されない。王は齢23、死に連れ去られるにはあまりに早い。内政官の一人が東夷の男の召喚を提案するが、反対も多く保留となった。 帝国歴243年 第9番目の月 18 番目の太陽が昇った日 …
(魂、愚かな炎、終演を告げる声。)
黄昏の図書館の
言の葉は
火に踊る
影を無くしながら
燃えあがり灰になる
遠い日の物語
未来まで届くように伝えられた話
倒された 樹の中で
写し絵は 消えてゆく
真実は偽りに
過去は空想に
燃えさかり灰になる 言の葉は
もう二度と生まれない たった一つの話
ゆらゆら踊る呉葉
愚かな炎に落ちる
遠い景色を思う
君の歌が聴こえる
(灰はやがて土となる)
この街が「太陽の都」と呼ばれなくなって久しい。 かつて広大な領土を支配し、街とともに私を産み出した帝国はとある世代に生まれた愚かな君主によって道を踏み外し、支配下にあった無数の国家の反乱によって滅亡した。次にこの地に興った国は実に穏やかであった。領土を拡げず、協調外交を掲げ、また歴史を重んじ、人々がこの街の名としてありし国のものを、つまり「ソルトスレイニア」を与えることを許した。一連の政策が功を奏して 200年ほど生き長らえたが、一人の国王側近の讒言によって衰退し、野心旺盛な隣国に滅ぼされた。 周囲に渦巻く無数の戦火から数百年の長きにわたり私を守ったもの。それは、智慧という形無きものに対して世界中の人々が背負い続けた畏敬の思いであった。 私を構成する一字一句、細胞のひとつひとつが過去を生きた人間の写し絵であること。私を失えばその細胞もまた死滅し、けして復活することは無いということ。人間がそれを知る限り、また祖先を愛する限り私は存在する。 ところで、200年程前から若干他とは色味の異なる人間が現れだした。古い知識を癌とみなし、自らとその子孫が生み出す新たな平和で世界を覆い尽くそうとする者達。彼らは同じ神を信じ、希望と正義感に満ち溢れ、敵を打ち払い領土を拡げてきた。私の周囲を見るに、彼らの願いは成就されつつあるようだ。「陽の沈まない国」と喩えられた帝国ソルトスレイニア。そこから数えて5つ目の国が誕生して7年、この街は再び争いに揺れている。 その日、若き図書館守はソルトスレイニアに新たに赴任する将軍を迎えた。…
秋のにわか雨、
ふと、偲び寄る空気
差し伸べられた手を
繋ぐ黄昏の庭
いつでも憶えている
遠い日のわたしたち
夏の調べも冬の音も
いつか留めたそのままに
色づく灰の景色
世界中をめぐるよに
託す言葉が風に乗って
届くように
(私は土 私は杖)
生、また死の神はあまねく人に手を差しのべる …